北海道米おぼろづき 出会いと記憶

Posted on by on 10月 21st, 2012 | 0 Comments »

平成24年10月21日、北海道のローカルTV局で「阿部農場のおぼろづき」が取り上げられました。

STV(札幌テレビ放送)が毎週日曜日午前7:30から放送する「D!アンビシャス」という番組です。北海道の食のみならず、産業、福祉、その他事業で地道に努力し活動される北海道人をクローズアップし30分間の番組に仕上げられています。私自身もH23年12月に放送して頂き、多くの方に千野米穀店を知って頂けるきっかけになりました。他に登場される方の努力には到底及ばないのは自覚していますが、大変有り難いことだと思っています。

そして、その番組で美唄市茶志内の阿部義一さん、頼義さん親子の今までの「おぼろづき」を日本全国に広げる奮闘ぶりが放送されました。阿部さん親子とは平成16年からのお付き合いで、まだ「おぼろづき」をおぼろづきと表現してはいけない時からです。

「おぼろづき育種者 安東氏との出会い」

以前、お米のアレルギーに関わる研究に米屋として関わっており(H8年〜H13年)、当時米アレルギー研究会なるものを結成していました。メンバーは、医師や全国の農業試験場の研究者、米屋などで、みんな手弁当で旅費は自前で来ていた人ばかりです。そのメンバーの中にこの「おぼろづき」を育種した北海道農業研究センター(以下、北農研)稲育種研究室室長 安東さん(当時)がいました。安東さんは以前筑波の試験場で米品種「ミルキークィーン」も手がけた方です。

安東さんはとても気さくな方で、私と年齢も近いこともあり、当時はよく札幌東区の店舗に育種途中のお米を「食べて欲しい」と届けて頂いていました。そして、そのお米が「北海292号」つまり現在の「おぼろづき」です。

平成13年頃、何かの用事で札幌市豊平区・羊ヶ丘にある北農研の育種研究室に立ち寄った時に食べさせてもらったのが「北海292号」です。安東さんから「このお米はブレンド米専用として出そうと思うのだけれど、どうだろうか?」と尋ねられた私は、食べた瞬間に何となく、そうではない、と感じ、安東さんに「このお米は美味しいけど、ブレンドには適さないと思うよ」と答えました。粒が小さめだが粒感がしっかりあり、粘りも強く、当時のきらら397やほしのゆめと混ぜても合う感じを想像できません。

その後、何度か試食する機会があり、いよいよ品種申請の段になって安東さんに送ったメールが「早く品種になることを希望します。この弾力のある粒々感は他の品種にはない味わいだと思います。」といった内容です。その後安東さんからは「お米の粒々感」という表現が新鮮で、品種登録申請のユーザー評価にその言葉を使わせてもらった、と言っていただきました。

その後、だれもなかなか評価しない「弾力のある粒々感」を、まさか8年後に台湾での試食販売に、台湾の方の口から聞けるとは思ってもみませんでしたが。

「北海292号の強運」

平成15年3月、安東さんから北農研の会議に参加しないか、と誘われました。「北海292号」を世に出す為の会議です。私もまだこの業界で働きたいので、詳しく語ることはできませんが、販売関係は私と本州のお米屋さんの二社です。農業団体関係者も参加しており、今年度の「292」の作付けについて話し合いが行われました。ある農業関係者が地域で100ha作付けを考えていて、出来高を8000俵と予定しています。すかさず、本州のお米屋さんは、そのお米は全量当社で引き受けます、と手を挙げられました。そのお米屋さんも、このお米は全国にも通用する品種である、と見抜いていたのです。隣で聞いて私は慌てました。「こんなに全部持って行かれては、せっかくの美味しいお米を北海道民に届けられなくなる」と思ったからです。ふいに私の口から突いて出たのが「私と半分づつにしませんか?」という言葉でした。同時に瞬間、会社が潰れるかも。。ということも頭に浮かびました。当時の当社の販売数量は3500俵ですので、年間の販売量は越えているわけです。金額に換算すると5千万円以上、一度にそんなに買える資金力も当社にはありません。

私にはお米について”だけ”変な感覚があります。辛気臭いと言われるかもしれませんが、どうも誰か何かに守られている感覚です。サムシンググレートといいますか、”お米だけに限った”ことですが、困ったときに誰かに助けてもらえたり、手伝ってもらえてりすることが何故か多いです。この時も、きっとそれはそれでそのような運命になるだろう、と考えました。神様がそうしろ、と仰るのならその運命に従います、という感覚です。なんとかなるだろう、なるようになるだろう、という根拠のないヘンな自信です。

その当時友人として付き合っていた人からは「あんたは騙されている。あの米はそんな良い品種ではない」と言われました。しかし、安東さんから数年に亘り戴いている米は、そんなに悪いとは思えません。その方達は専門家で優秀な人ばかりでしたが、自分を信じることにしました。勇気を出して「僕はそうは思わない」と応え続けました。

平成15年この年は、平成10年に起こった「百年に一度の冷害」に次ぐ冷害年です。そしてこの冷害年、「北海292号」が品種「おぼろづき」として申請された年、他の品種が穫れない中、阿部さんの圃場では見事な稲穂をつけるのです。そして、買わなければいけない、と思っていた4000俵(240トン)は、農業団体の判断で作付けが行われていませんでした。私自身は正直ホッとしましたが、お米は「幻の米」になってしまったのです。

そしてこの年、北海道は「北海292号」の特徴として、粒の粒厚がうすい、収量性が悪い、他にも低アミロース系の米が出ている、という結論からこの292を「廃棄」と命じました。「廃棄」という裁定は、このまま継続して栽培してはいけない、ということなので、つまりこの世には「北海292号」は存在しなくなるということです。

見事な稲穂をつけた阿部農場の「おぼろづき」はそのような娑婆(シャバ)の勝手な事情をよそに、我先を行かん、と勝手に歩き出していました。安東さんが試験栽培依頼をしていた阿部義一さんの農場では、冷害のお蔭で「おぼろづき」のその実力が浮き彫りにされていたのです。

「阿部さんとの出会い」

冷害になるとお米の品質は落ちます。まず収量が低くなる。そして味が落ちます。味が落ちる原因の一つとして、たんぱく含量の高さがあります。土壌中の窒素が寒いが為に充分に分解されず稲体に吸収されます。また、稲の活動や新陳代謝も衰えることから、米の中のたんぱく質の含量が多くなり、窒素は粒子として米の中に存在するので、それがデンプンのネバネバ活動を妨げ、結果ごはんの食感にパサつき感が出て、粘りの少ないごはんになります。

安東さんはある時、このようなことを仰っていました。

「北海道の米は気候と土壌の性質から、たんぱく含量の多いお米になりやすい。だから、肥料を抑えてたんぱく含量を少なくしようと考えるより、たんぱく含量が多くても美味しい品種を作ればいいんじゃないか、と考えたんだよね。」と。

その当時は「292」は廃棄処分となり、それでも品種申請された「おぼろづき」は、正式に試験栽培されていた経緯から北海道内で(密かに?)栽培されていました。そして、私は前述の思いが余って、知り合いを通じて別な地域の「おぼろづき」を仕入れていました。

「おぼろづき」はいろいろな地域で勝手に増殖されており、私も一米屋として仕入れて販売していました。しかしながら、以前から食べていた「292」とは全く違った味わいも感じていました。たしかに羊ヶ丘の試験圃場は良質な米が収穫されるので、味に違いがあるのは仕方がありません。

平成17年、もう既に転勤で北海道を離れていた安東さんが、たまたま北海道へ来ることになり久しぶりにお会いしました。そこで私が安東さんに「時々おぼろづきを仕入れているけど、全然美味しくないんだよね。だれか良い生産者を紹介してもらえませんか?」と尋ねたところ、「阿部さんという生産者がいるから紹介しようか? すっごくキョウリョクな人だけど・・・」との返事です。

安東さんには阿部さんに私のことを紹介していただき、私も紹介してもらった当日に阿部さんに電話をして、高速道をひた走りました。電話をして一時間後には阿部さんの家に到着していました。記憶に残っている阿部さんの言葉が「今までいろいろな人が訪ねてきているけれども、アンタみたいに電話してすぐ来たのは初めてだ」と言い、突然行った私に夕食まで戴き、その日は日付が変わるまでお話を聞かせていただきました。

「おぼろづきの闘い」

一度廃棄処分になった品種は、基本的に復活することはありません。しかし、おぼろづきはその強運さからなのか味が良いからなのか、道内あちらこちらで”密かに”栽培されており、問題になっていました。私も安東さんの紹介もあって、阿部さんの「おぼろづき」を仕入れて販売していました。そしてあるとき新聞記事で取り上げられるのです。

記事には「品質の良いお米」として取り上げられているのですが、その数日後には銘柄登録されていない「おぼろづき」を「おぼろづき」と称してはいけない、という内容の記事です。阿部農場の米を持っていた私は店頭で「おぼろづき」と販売していたのですが、その記事を見た誰かが北海道農政事務所へ報告したようです。農政事務所から「消費者から千野米穀店でおぼろづきと称して販売している。問題ではないのか?、と電話が来ました。すぐに調査に参ります」と電話がありました。そして会社に農政事務所の二人が来て、「おぼろづき」として売っちゃいけない、と叱られてしまいました。我々は法律の中で働いているので、この点は反省しなければいけません。

しかしどうも釈然としない感じが残り納得できない私は、その後、所長と直談判しようと農政事務所に炊飯器を持ち込み「おぼろづき」食べてもらおうと考えました。当初は課長さんが対応されたのですが、私が「どうしてこれほど良い米を見殺しにしてしまうのですか?食べてみてください。美味しいでしょう?ちゃんとおぼろづきと言っても良いようにしてもらえませんか?」 今考えれば、法律上お門違いのところに行ってしまったようで、明らかに困った様子もごもっともです。見かねた所長が、奥の所長室から私を呼びました。私の記憶にこの所長がなんと仰ったか憶えてはいないのですが、話を笑顔でよく聞いてくれたことだけは記憶にあります。

この当時、阿部さんのところでは、道や農業団体、農政事務所との闘いが行われていました。つまり、「廃棄」処分になったお米をこれ以上認めるわけにはいかず、阿部さんのところには、農業関係者および団体から誹謗中傷、妨害、脅しが電話でも書類でも連日行われていたのです。そして、阿部さんはそれをひとつひとつ論破しはねつけ、結果として今「おぼろづき」が北海道の品種として認められるきっかけをつくりました。私としては、阿部さんの虎の衣を借りているので、団体関係者から問われることもなく、むしろ阿部さんのおぼろづきはアンタッチャブルな米として、その美味しさだけで商売をさせていただいておりました。

「御雷之稲(ミカヅチノイネ)」

阿部義一さんがおぼろづきにインスピレーションを感じた話を聞きました。

平成15年刈り取り前の秋口、田んぼに雨が降りました。夕方何気に窓の外を見ていると、おぼろづきの田んぼにドドーンと雷が落ちたのです。田んぼにおちた雷は、まさに田んぼから龍が昇る様に見え、阿部さんはこれは北海道にとって救いとなる、素晴らしい品種になるだろう、とそ直感したそうです。雷は稲妻とも称され、稲の妻、つまり、田に恵みをもたらす吉兆です。そして、おぼろづきは月偏に龍の字「朧月」と書くことができます。

翌日雷で黒く焦げて穴の空いた場所を丁寧に刈り取り、四隅をつけて米と塩と酒を周辺に撒きお祓いをしました。刈り取った稲はそのまま保管し、翌年雷の当たった籾種として使用しています。その種は翌年素晴らしい稲となってまたその姿を見せてくれました。

刈り取った稲の一部が大切に保管されており、平成18年大丸札幌店で開催された催事「ディスカバリー北海道」で展示されたことがあります。いろいろな人が触る可能性があるので、ボロボロになりますよ、とお話ししたら、阿部さん曰く「たくさんの人に触ってもらった方が稲も喜ぶから」と快くお貸し頂きました。

私はこのおぼろづきの稲のこれまでのストーリーを書いてパネルにし、「御雷之稲」と名付け期間中、催事場に飾らせていただきました。そして、その催事開催中に阿部さんのおぼろづきが「全国米食味鑑定士コンクール」において魚沼産コシヒカリなどと並ぶ最優秀賞・金賞を受賞するのです。

当時、大丸初お目見えと金賞受賞が重なって新聞TVを賑わした「おぼろづき」は大変話題になりました。なぜなら、阿部さんのおぼろづきは、阿部さんと農協以外はほぼ当店だけで販売していたからです。

余談ですが、この「御雷之稲」の一部は千野米穀店本社店内中央に奉ってあります。根も切らず土付きのままで置いてあります。この稲穂を、事故の多いあるトンネル工事の関係者に渡したところ、事故がパタリと起きなくなった、と阿部さんは言ってました。当社にも御利益はあったのでしょうか。いや、充分にあったと思います。お陰様で多くの方に当店をご利用頂いております。

「全国に知られる北海道米」

不味いお米の代名詞、と云われていた北海道米がとうとう本州まで知れ渡ることになりました。あれほど認めたがらなかった北海道の農業関係者が一斉に「おぼろづき」に注目し、もてはやすようになったのです。「八十九」なるもの。その恩恵に預かったお米です。阿部さんが頑張らなければ、その存在すらありませんでした。当時の三越ホクレン祭は「八十九」を買おうと長蛇の列です。それでも、阿部さんに感謝する言葉は誰からも聞かれませんでした。

阿部さんのお米の美味しさは、土作りと肥培管理、そして独自の乾燥調整によるものです。特に乾燥調整は、低温で熱をかけずじっくりと風だけで乾燥させます。それは、ごはんの香りの良さを際立たせます。

阿部さんの言葉「千野さんなぁ、俺たちにとって不味い米を作ることは、死を意味するんだよ」

絶句しました。こんな思いで仕事をしているのかと。たしかに農協には一俵も出荷していない。すべて自前で販路を築き農業経営しているのですから、このような考えになるのは当然だとは思いますが、どれほどの生産者が、これだけの覚悟をもって米作りに相対しているでしょうか。いや、それを受ける私たちもどれほど真剣に仕事を、”事に仕えている”でしょうか。

これだけの覚悟が、おぼろづきの良さを見出し全国一位にまで北海道米を引き上げた、と思っています。

農業関係者から忌み嫌われていた「おぼろづき」でしたが、平成21年「ゆめぴりか」が発売される、というその年、冷害に見舞われ「ゆめぴりか」はたんぱく含量が高く、”ゆめぴりか”単体では販売しないということになりました。生産してしまった”ゆめぴりか”をどうする?という話があり、その年は「おぼろづき」とブレンドされ、「ゆめぴりかブレンド」と称して販売されました。

北海道と関連団体が主導して鳴り物入りで登場する「ゆめぴりか」と一農家が様々な妨害や策略の中、闘って勝ちとった「おぼろづき」。しかし、平成21年の「ゆめぴりか」は「おぼろづき」に助けられるという形で幕を終えました。なんという皮肉なことでしょうか。

「おぼろづき」の特徴

おぼろづきは、冷害に強く、タンパク含量が高くなっても、それを感じさせない粘りと食感、でんぷんの舌ざわりの良さが特徴です。欠点は収量が低いこと。栽培方法や種籾によっても味にバラツキがあることです。もともと冷害に強いので、夏の暑さは苦手なようです。すこしだけ冷害かかった方が美味しくなることが多いですね。ですので、旭川あたりの気候条件や栽培方法には向いていない気がします。後志産もおすすめしません。もちろん美味しいおぼろづきは、中にはありますが、肥料切れの良い圃場では、このおぼろづき、飯をよく食い(肥料を吸収しやすく)最後の最後まで生き延びようとする生命力なので、途中で飯種の切れる圃場では、シュッと切れの良い味わいにならないと思います。

私の記憶の中にある理想のおぼろづきの味は、粒が小さめでシュッとした形状。炊くと良質なコシヒカリにも似たサックリ感があり、ほどよい粒の弾力感ときめの細かなデンプンの舌触りと喉ごし、そして透明感のある白さです。阿部さんのおぼろづきといえど、なかなかこの領域を経験していません。しかし、おぼろづきには出来るはずです。心から期待しています。

阿部さんは「おぼろづきは北海道農業の救世主になる」とTVで云いました。冷害にも強く、高温にも障害は少なく、病害虫に強く、尚かつ作りやすい品種おぼろづき。もっと丁寧に見直されて良い品種だと思います。

「世界に羽ばたく朧月」

平成22年春、私は台湾台北市の中心街にある太平洋そごう忠孝店で、台湾では初登場として「おぼろづき」を販売しました。狙い通り、お米の粒の弾力感が台湾の方々には「QQ(弾力感がある)」と評価され、その後定番商品として今も販売していただいております。台湾の屋台では「飯團」と称す具のたくさん入ったおにぎりが売られているのですが、これがもち米で作られているのです。餅米は蒸すと弾力が出るので、台湾の方はこのような食感が好きかな?と考えた結果です。

そして名前が良かった。感じで書くと「朧月」。この意味するところは、漢字圏の人々には悪い印象を与えません。意味するところは同じだからです。ほかの北海道米はいかがでしょうか? 星之夢・・は何となくいい?七星はたばこの名前、セブンスター。ふっくりんこは感じで表現できず。ゆめぴりかは例えようもない。名前は大切なのです。ちなみに、現在台湾ではふっくりんこを「福禄寿」と書いて販売しています。名前の評判が良く、縁起を気にするお客様には好評です。

「おわりに」

この長い文章は、いつも私の酒ネタでした。しかし、阿部さんのTVで真剣に「北海道を救いたい」という言葉に触発されて、私も今までの経緯を残しておきたいと思い、一気に書き上げました。

文章中に批判めいた内容もありますが、これはその当時のことで、今となっては何もありません。現在は関係者の方から大変な協力を戴いており、心から感謝しております。

当社の経営理念は「お米の美味しさを多くの人に伝え、幸せな食生活を創造する企業です」。

おぼろづきに限りません。ゆめぴりかも大変美味しいお米で、その他の品種も大変美味しいお米です。

多くの方にお米の美味しさを知っていただくために、これからも一生懸命精進するつもりです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

改めて、「おぼろづき」にスポットを当てて頂いたSTVの関係者の皆様に感謝申し上げたいと思います。

ありがとうございます。

 

株式会社千野米穀店

代表取締役 徳永善也

 

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